
サンチ-は静かな丘陵地帯で、紀元前3年から西暦12年の間に建てられた仏塔や僧院
、寺院、石柱などの遺跡群が残る場所です。古の仏教修道地で、また巡礼地でもあったサンチーの繁栄は、今なお、たくさんの仏教の伝説を表現した、優美な彫彫刻の複雑な構造に垣間見ることができます。サンチーでは初期仏教時代の伝統にならって、ブッダは人間の姿ではなく、シンボルによって、表されています。蓮はフッダの降誕を表し、聖樹は悟りを、法輪は初めての説法を、そして仏塔は涅槃それぞれ表してます。仏足跡や聖壇はブッダの存在した印とされています。サンチーは13世紀以降、1818年にイギリスのテイラー将軍によって再発見されるまで半分埋もれていたが、良い保存状態のままで、事実上忘れ去られた地なってました。その後、1912年にイギリス考古学研究所長だったジョン・マーシャル卿によって、復元作業が行われました。
サンチーの主な重要遺跡
直経36.5m、高さ16.4mの大ストーゥパ第1塔は、インドでも最も古い石造りの建造物のひとつです。巨大な半球体のドームとともに、ストゥーパが堂々とそびえ立っています。
周囲の小道は、長年渡る巡礼者の巡回によって舗装されました。もともとアショカ王によって建てられた土製のストゥーパは、紀元前3世紀と2世紀のい改築されました。この壮大なストゥーパの最後の増築作業で追加されたのが
、精巧で豪華な彫刻が施された四方の門(トラナ)です。最初に立てられたのは、南口の門で、その後年代順に北、東、西の門がそれぞれに建てられました。南門に施されたダイナミックで手のこんだ一連の彫刻は、ブッタの降誕を描写しています。北門の頂点には法輪が施され、ジャータカ物語に記された、ブッダにまつわる奇跡的な出来事を表しています。東門には、世欲的な生活を捨てて悟りを求めて父の宮廷をあとにする、若いゴータマ王子が描かれていまます。右側の柱の内面には、ブッダの母であるマヤ夫人がフッダを受胎したときに見た夢が描かれてます。西門にはフッダの7つの権化が、うち4つは聖樹、
3つはストゥーパによって、ブッダがサルナートの鹿野園で初めて説法を行う様子や、チャッダーンタ・ジャータカ物語とともに描かれています。紀元前2世紀に建てられたストゥーパの第2塔は丘の一番端に立ち、そのうち最も顕著な特徴は周りを囲む石造りの欄干です。ストゥーパ第3塔は第ストゥーパの北東の位置し、最も奥の部屋からは、ブッダの有名な弟子であった舎利弗とに目蓮の遺物が発見されました。半球体ドームの上には、このストゥーパの持つ宗教的な特別重要な意味を示して、磨き上げられた石造天蓋が被せられています。門がひとつしかないこのストゥーパは、紀元前150〜140年前に建てられました。紀元前3世紀前に、4等のライオンの彫刻を施されて建てられたアショカ王の石柱は、大ストゥーパの南門近くにあります。サルナートの複雑に彫り刻まれた石柱に似ていますが、こちらのライオンは法輪(ダルマチャクラ)を坦いたデザインではありませんでした。この石柱国有の特徴は、そのつややかな光沢です。今は廃墟となっ
ているグプタ寺(4世紀)は、知れている限りでも最も古いインド寺院建築様式のひとつです。前面に柱で支えられた玄関のある、平屋根の1層棒で構成されています。大ストゥーパの南門前にある第18寺院(聖堂)は比較的新しく(7世紀)、マハラーシュートラのカルラ石窟寺院の礼拝所に似ています。7〜11世紀に建てられた僧院と第45寺院は、さらに発達した建築様式を見せています。装飾的な戸口には、楕円形に後光の差したブッダの肖像が施されています。一塊の石をうがって作られた大鉢は、かつてサンチーの修道僧へ食べ物を配るのに使われたものです。